インターネット利用の費用

「ホームページの開設にはお金がかからない」という意見が、新党さきがけなどから示された1996年頃、写真ひとつ掲載するにも、html文をベタで書く専門技術が必要で、現在のような便利なツールや素材集もなかったから、ちょっとしたボタンを作るのも、容易ではなかった。
それゆえ、当時の政治家のホームページは、そのほとんどが、BBSの延長線上のような使われ方で、長いテキスト文がベタで掲載されているか、大きな写真が一枚貼り付けられているだけの状況だった。既存の媒体でいえば、ビラやポスターのような使われ方である。
そのような状況であったから、既存の媒体に比べ、印刷や配布にかかる費用がかからず、安いコストで多くの有権者に情報を発信できると注目されたのである。
しかし、インターネットの可能性が、ホームページという形態だけに限っても、ビラやポスターを置き換えるだけのものにとどまらないことは、今では誰の目にも明らかである。
インターネットにおいても、お金をかけてはじめて実現できること、逆にお金をかけないと生じるリスクの存在を認識するべきである。候補者にしてみれば、インターネットの利用が選挙運動に解禁されれば、その可能性を最大限に利用しようと考えるから、決してインターネットによる選挙運動だからとお金をかけないということにならない。
具体的に示すと、お金をかけなければ、セキュリティの低いサーバーを使わざるをえない。結果として、選挙中にホームページを改ざんされるリスクが発生する。接続されるバックボーンが細いものになるから、大量のアクセスがあった時に対応できなくなる。善意のアクセスだけならいいが、悪意をもって一般のアクセスを妨害する目的で攻撃される恐れだってある。万が一、サーバーがダウンした場合の復旧も保証されない。
一方、例えば、人気アーティストに多額な契約金を支払い、ホームページから新曲をダウンロードできるようにすれば、非常に多くのアクセスを得られるだろう。
これは極論としても、お金をかければ容量の大きなサーバーを開設でき、ビデオなどのようなコンテンツも発信できるようになるし、コンテンツそのものの内容も充実できる。
第2回の研究会議事録を読むと、野中ともよ委員がこのようなことを発言している。
「お金ということになるとインターネット上だと余計にかからない。(中略)それこそポスターを篠山紀信さんに頼む必要もないわけで、自分でできてしまう」
私は、認識の甘さに愕然とした。確かに、篠山紀信さんに撮影を頼む必要はないかもしれないが、例え、インターネット上のホームページであっても、候補者が自分の良い写真を掲載したいと思ったら、専門の写真家が撮った写真を利用するものだ。選挙公報の原稿作成で、お金のかからない自筆手書きにせず、専門のデザイナに作らせるのと同じだ。
せめて、レンタルサーバーの価格を調べているかと調べたがそのような議事は残っておらず、ましてコンテンツ作成の費用を調査した様子もない。業者を使って、ちょっとしたバーナーを作らせたら数万円、見栄えのする動画を作らせたり、CGIで掲示板を作らせたりすれば、数万戸にビラを配るぐらいの費用がかかってしまう。
今後、どのようなインターネットの利用形態が発明されるかもわからない状況で、インターネットの解禁でお金のかからない選挙にする目的達成は難しいし、むしろ、インターネットにお金をかける選挙になっていくことを前提に議論するべきだと考える。


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